常陸(ひたち)の太田城で
佐竹義重の長男として生まれ
改易(かいえき)で秋田藩主となった
佐竹義宜の所有した脇差である
ある時寝ていた義宜は
夢のうちに何かに脅されて
夢のままにそれを切りました
翌朝に脇差に血がついていたので
天井を調べたところ二つに裂けた
大猫が出てきました
悪夢を斬ったことで
この脇差を 夢切 と名付けました。
この刀の作者は
鎌倉時代の中期に備前で活躍した刀工
国宗 です
通称 備前三郎 といわれ
備前伝である長船派とは系統が異なる作風
同名の刀工もいたとも言われ
詳細は不明