日本刀は日本各地で製造されていたらしいのですが、その中でも名刀が数多く製造され多くの刀工さんが生み出された地域を五箇伝といいます
●美濃伝
美濃伝は五箇中で最も新しく、南北朝期に正宗十哲のひとりである志津三郎兼氏が美濃国の志津へ、金重が関へ移住し相州伝が伝わる
もともとは大和伝の系統であった美濃鍛冶に相州伝が加わり独自製法が磨かれていった。
●相州伝
相州伝の発生は鎌倉時代後期、幕府が山城国から粟田口国綱を備前から一文字の国宗・福岡一文字助真を鎌倉へ招き入れました
館蔵鍛冶は新たな鍛錬法の研究に取り組み、特に新藤五国光は山城伝・備前伝の両方を習得した
しかし相州伝は難しい鍛錬法であるため室町時代の中期は衰退してしまった
●備前伝
備前国は政治の中心から外れた地にあり、盛衰(せいすい)に影響されず繁盛した。備前には砂鉄・水・木炭といった材料が豊富にあり刀工人数は相州16倍、山城の12倍、美濃の5倍ほどの数です
●山城伝
山城伝は平安中期に京都の三条に住んだ宗近を祖とし京都中心に栄えた
朝廷に仕える貴族や天皇の需要に応えて優雅な太刀を製造、鎌倉末期まで栄えました。
中でも鎌倉時代に活躍した粟田口一派は美しく五箇伝随一と言われています。