朝廷に愛され繁栄した刀工集団 山城伝
皆さん、ご安全に
今回は京都において
朝廷の貴族や天皇の需要に
答え続けた刀工たちを指す
山城伝について取り上げます。
山城伝は、平安時代の
宗近(Munechika)を祖として
鎌倉時代には粟田口一派が栄えました
作刀したものの美しさは天下一
と称されるほどの名刀たちです。
- 三日月宗近
- 小狐丸
- 石切丸
三日月宗近
名刀を指す天下五剣
そのなかでも最も美しいと
言われる三日月宗近
これを生み出した人物こそ
三条派の祖といわれる
三条宗近である
作刀に命を彫る際には
「三条」もしくは「宗近」を打ちます。
三日月宗近は曲線美と品格が絶品で
平安王朝文化を象徴するような
優雅さが感じられます。
三日月の号は
刃文の縁に三日月状の模様が
連なり見える様から
名付けられました。
平安時代に作刀され
室町時代には足利将軍家の家宝となり、
最後の所有者である
足利義輝に伝承しました。
永禄8年ごろ松永久秀と三好三人衆が
結託し謀反を起こします。
義輝は二条御所にて刺客どもを
迎え撃ち「剣豪将軍」の名に恥じぬ
最後として床に自慢の刀剣を突き刺し
切れ味が落ちれば次に交換し戦い続けた
逸話が残っています。
その所有物の中に三日月宗近はあったとされます。
現在は東京都の東京国立博物館さんで保管されています。
小狐丸
平安時代の夜
第66代一条天皇(980〜1011)が不思議な夢を見ました。
「三条宗近に刀を打たせよ」というお告げでした。
夜が明けてさっそく三条宗近に刀を依頼します。
天皇からの勅命とあって宗近も力がはいります。
しかし大仕事に見合う相槌を打つ弟子がみつからない
そこで近所にある稲荷神社にお参りに行きました。
その夜に童が現れて
「御剣は必ず成就することだろう」と声がしました。
その声に安心した宗近さんは刀を打ち始めました。
刀を打っていると稲荷の使いである小狐が現れて
相槌を手伝ってくれた。
そうして完成した刀に自身の銘と小狐を彫ったそうな
石切丸
平安時代末期の武将である源義平が所有していたといわれる
河内国三条有成作の大太刀である
父:源義朝の仇である源義賢を討つ際に身に着けていた
その後保元の乱で敗れた義平が落ち延びたときに人に託した
その後の経緯は不明であるが、
大阪府の東大阪にある石切劔箭神社に奉納されている
石切丸がこれではないかと言われています。
(石切劔箭神社の由来では刀匠は三条宗近説となっている)
