皆さん日本刀には様々な伝説が
あることをご存知でしょうか?
現代では日本刀は美術品として
扱われていますが
古来より日本刀は武器として扱われていた
そのことを忘れてはいけません・・・
これより狂気な逸話の残る
日本刀を5振りご紹介します
赤木柄(あかきつか) 短刀
この短刀「曾我兄弟の仇討ち」
のお話しに出てくる現存の刀です
源頼朝が行った富士の巻狩り
この間に行われた曾我兄弟による
仇討ちに使われました
曾我兄弟は工藤祐経(すけつね)により
親を討たれるも難を逃れ
箱根権現社の稚児として預けられ
過ごしていました
そこへ源頼朝に隋参し工藤祐経が
箱根権現に参拝した際
気づいた兄弟は復讐を果たそうとします
しかし諭されてこの赤木柄短刀を
授けられます
しかし兄弟は復讐を忘れず
源頼朝が富士での巻狩り後の
祐経の寝床に押し入り打ち果たした。
この時に使ったものが祐経に授けられた
赤木柄短刀であったそうな
仇討を成功させた兄弟であったが、
この後取り押さえられ
斬首されたのでした。
希首座(きしゅそ) 脇差
細川忠興所持の脇差
刀工は藤原宣貞
希首座の由来は
細川忠興が京都のお寺に招かれた際、
突然修行僧を切りつけた。
そのあと忠興は帰ってしまったそうです。
そのあと切った修行僧の弟も
部下に切らしたという
この切られた修行僧の名が「希」、
禅宗の修行僧のリーダーを現す
役職「首座」から
この刀は希首座と名づけられました。
鉋切長光(かんなきり ながみつ) 小太刀
刀工は備前長船の長光
堅田又五郎が出入りの大工と共に
伊吹山へ出かけたとき
山中で大工が突然襲い掛かってきた。
又五郎がこの長光で切りかかると
大工が鉋で受けるがそれもろとも
真っ二つになり姿は消え去った。
それ以後鉋切と号されるようになった
2位 小夜左文字 短刀
浪人の夫を亡くした妻が、
夫の大事にしていたこの短刀を
売ろうとしました。
小夜中山峠を越えようとしたところで
何者かに奥さんは殺され
短刀も奪われてしまいます。
遺された子は復讐を果たそうと
掛川の研ぎ師に弟子入りします。
ある時「筑州住 左」の銘が入った
短刀を浪人が研ぎに出してきました。
親の仇である犯人だと確信した子は
この短刀を手に取り
浪人を打ち果たしそうな
歌仙兼定 打刀
所有者であった細川忠興は八
代城に隠遁していました。
ある日忠興が息子(忠利)の近臣を
八代城まで呼び寄せました。
そして彼らの仕事ぶりが悪いという理由で
次々と首をこの刀で刎ねて行きました。
その数なんと36人!!
三十六歌仙にちなみ
歌仙兼定と名付けられたそうな
日本刀には様々な逸話が存在します
ぜひ皆様もご興味があれば
調べてみてはどうでしょう
それではここまでお読みいただきありがとうございました。