膝丸は源氏重代の名剣である
経基王の嫡子多田満仲が筑前の国から鍛冶屋を召して作らせらせた二振りの太刀のひとつで
鍛冶は宇佐八幡に参籠して刀の威徳を祈り作り上げた
膝丸の由来は人を切った際、両膝を一挙に薙ぎきったことから言われはじめた
のちの義仲の嫡子摂津守頼光が熱病を患った際に空より降りてきた妖怪変化を枕元にあったこの膝丸で切りつけ、その地を追いかけていくと蜘蛛であったことから蜘蛛切りと改名している
さらには刀は頼光から孫の頼綱、頼光の弟である頼信の嫡子頼義、頼義の嫡子義家、義家の孫であち為義へと伝わる
ある時に膝丸が夜通し蛇の鳴くような声で吼えていたことからそれ以降は吼丸と名付けられたときもあり為義は娘婿の教真に与えられ、教真はこれを権現に奉納した
そして教真の子で熊野に住む子である湛増は為義より拝領した膝丸を十六歳になった源義経に贈った
その際に熊野の春山をでたことから薄緑と名を変える
義経はこのあと膝丸を箱根へと奉納しその後曽我兄弟の仇討に遭遇することとなる